あのときああしていれば、あのときこうしていれば。
ふと迷うことがあります。正確にはありました、です。
基本的にポジティブな人間なのであまりクヨクヨせず、なにごとも前を向いて考えるクセがついているのでそう立ち止まったり悩んだりしませんが、こと息子を思うとやはりあらゆることを考えてついネガティブになってしまったりもします。
これが親心なのかなんなのかはよくわかりません。そしてこれから書くことはもしかしたら自分を納得させたいだけの自己保身的な考えなのかもしれないのでいろんなご意見があると思います。…ので、この先を読み進まれるかたはあくまでもわたし自身の見つけた「楽しく元気に生きるための道筋」だということを考慮していただければ幸いです。
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これまでの人生においていろんな恋愛と向き合い、ひとつひとつに出逢いがありそして別れがありました。
女子の人数がわずか1割程度の高校に通いはじめたときから夜の世界でお仕事をさせていただいた近年までを振り返ると、決して地味とは言い切れない人生を送ってきたように思います。
それなりに恋をして、それなりに愛を知って、それなりに傷ついたり傷つけたりして。今となってはすべてが本当にいい思い出です。
と言いながらも、自分の都合のいいように暗い過去はすべて忘れていて、思い出すのは楽しくて幸せだった日々ばかり。
「あの人とあのとき結婚していればよかったのかな、そうすれば両親も心から笑って祝福してくれただろうに…」
「あのときなんでもっとあの人を大事にできなかったんだろう、そうすればもっと…」
そんなクズみたいな後悔ばかりを繰り返していたとき、同時にとてもとてもとても大切なことを忘れていることに気づきました。
ふり返ってみたような人生をもしもわたしが歩んでいたら、いまこの手に抱いている愛しくてどうしようもない息子に会えているの?
答えは「No」です。絶対に出会えていません。彼の笑顔には出会えていません。それはどんな過去にも代えがたい事実。
きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、いま目の前にある大切な存在は過去のわたしがあって、そしていまのわたしだからある。その現実を忘れかけていたように思います。ものすごく単純でものすごくあたりまえのことなのに。
人はつらくなったり思いがけない状況に出くわすと、キラキラしたその自身の過去をうらやましく思いがちです。しかし、いまの自分をつくっているのも過去の自分。その事実から逃げちゃいけないし逃げるべきではないし、その過去に感謝できないなんてなんだか悲しくないですか?
そう気づいたときから、たとえふり返ることはしても自身の過去を後悔したりうらやんだりすることはやめました。戻ることはできないし自分のことを否定してしまうとても無駄な時間だと思うから。
いまの自分を自分が愛さなくては、愛する存在のことも全力で愛することなんてできません。 いまがあるのは過去のおかげ。
だからいま、過去の自分にありがとう。